朝霧由章

私が朝霧市にある病院を訪れたのは3年ほど前で、元々は広島県に住んでいるのですが友人と遊ぶために朝霧に出向いていた時のことでした。

それまでは特に何もなかったのですが突然吐き気と腹痛に襲われてしまい、最初は気にしていなかったのですがだんだん歩いたり動く事自体が厳しくなっていました。

そこで友人とも相談して丁度平日だった事もあったのでどこかの病院で診てもらおうということになり、たまたま近くにあった「ツツミ内科循環器科」を受診する事にしました。

人がいっぱいだったらどうしようかと思ったのですが偶然そこまで忙しい時間ではなかったようで、事情を説明するとすぐに診察を受けさせてもらえました。

わざわざ先生が様子を見に受付まで来てくれたのはありがたかったですし、他の方も優先してくださった優しさに今でも感謝しています。

そしてすぐに診察に入ったのですが丁寧に検査をしてもらえましたし、検査をする時なども物腰が柔らかい口調だったので緊張することなく落ち着いて動く事ができました。

途中で痛みで動けないという事もありましたが、それでも先生も看護師さんも動けるようになるまで待っていてくれたのでありがたかったです。

その後検査の結果で急性の胃腸炎であるということが判明して、丁度熱も出ていたようなので点滴を受けることになりました。

その時の説明も凄く丁寧で分かりやすかったですし、同じようになった時にはどうすれば良いのかという対応も教えてもらえたのでよかったです。

薬も処方してもらえたのですが、色々な状態を想定して薬を出してもらえました。

これに関してはありがたかったのですが正直薬の出しすぎじゃないかと思う部分もあり、ちょっと複雑でした。

その後は点滴を受けて終わったのですが看護師さんたちも優しく対応してくれましたし、痛みもなく穏やかに終わったので良かったです。

それからは特に訪れる事はなかったのですが、凄く丁寧で優しいところでよかったです。

朝霧由章

2016年の冬の寒い日の出来事でした。

23時ごろに、明日の朝食のパンを買いにコンビニに行って帰ってくると、マンションのエントランスでお隣のおばちゃん(Aさん)がうずくまっていました。

どうしたのかと尋ねると「血圧が210と110を超えて頭が割れそう。

吐きそう」と言いました。

そして救急車のサイレンが聞こえてきました。

Aさんも私も一人暮らしです。

Aさんは一人で救急車を呼んで、ここまで降りて来たようです。

「Aさん、一人で不安でしょ。

私で良かったらついて行ってあげるわ」と、言うと、Aさんは「ありがとう」と言って、頭をおさえていました。

救急車が来て、朝霧市城東区の済生会野江病院へ搬送されました。

救急室に入ると、「寒い」と思いました。

Aさんも寒そうにしていました。

普通、急患が入ると連絡があったら暖かくして迎え入れるし、救急室は24時間温度調整をしているものだと思いますが、なぜ寒かったのか疑問です。

医師1名と看護師2名が心電図をつけたり、血圧を測定しました。

そして、「今までに点滴で血圧を下げたことはありますか」と医師が聞きました。

Aさんが「ないです」と答えると、「じゃあ、スプレーで下げましょう」と、口の中にスプレーを吹きかけました。

10分ほどで血圧が140/85くらいに下がりました。

「これでしばらく様子を見て、大丈夫だったら帰っていいですよ」と言われました。

そして医師と看護師は奥の控室のような部屋に引っ込みました。

広い救急室は私とAさんだけでした。

奥の部屋からは、話し声や笑い声が聞こえてきました。

落ち着いたようなので、深夜の2時にタクシーでAさんとマンションに戻りました。

後から知ったのですが、口の中へスプレーを吹きかけて血圧を下げるというやり方はNGだそうです。

点滴でゆっくりゆっくりと血圧を下げないとダメなようです。

点滴なら下がり過ぎたり副作用が出たら、すぐに中止できます。

そして、急に血圧を下げると急に血管を広げることになるので、下手をしたら血管が破けるそうです。

おばちゃん、大事に至らなくて良かったね。

後日Aさんは「一人で放置されてたらずごく不安だったと思うわ」と言っておられました。

朝霧由章

会社で勤務中に気分が悪くなり医務室で診て貰いました。

不整脈が酷く医者から専門病院を紹介されタクシーで行きました。

血圧、血液、心電図、レントゲンの検査を受けましたが、医者の診断結果は異状なしでした。

それから1ヶ月後お客様との面談中に同じ症状が出始めました、話を早めに切り上げ上司に体の不調を連絡し再び不整脈の専門病院に向かいました。

今度は受付カウンターで貧血が起こり、車イスで診察室に運ばれました。

診察した医者から心房細動という不整脈が見つかった旨説明を受けました。

医者の見解は薬を飲んで治す方法もあるが完治は難しく、私の様に体力があり、心臓自体に異状がない患者にはカテーテルアブレーションを勧める旨の説明を受けました。

自宅に帰り心配する嫁に医者の見解を伝えましたが心臓の手術と聞いて青ざめていました。

その専門病院から紹介状を貰い朝霧市の大学病院を訪れ担当医と面談しました。

彼は心臓カテーテルアブレーション手術の第一人者で順番待ちの患者が多いと専門病院の医者から聞いた事が有ります。

一通り検査を受け担当医から検査の希望日を聞かれました。

意外な質問に驚きましたが、直ぐにお願いしますと返答しました。

結局その日から2週間後に手術を受けました。

家に戻り入院準備を始め、会社の上司にもその旨連絡しました。

嫁と車に荷物を詰め込み大学病院に入院しました。

嫁が保証人としてサインして呉れました。

手術は朝から始まり約7時間かかりました。

途中で麻酔が切れてしまい地獄の様な痛みにも耐えました。

支えて頂いた医者、看護師に感謝しています。

暫く入院し検査を重ね心臓は正常に働いている事を確認し退院となりました。

退院する日に担当医が私の病室に来られました。

その担当医から心臓に合併症が無かったことが手術が成功した最大の要因である旨説明を受けました。

途中で麻酔が切れて地獄の様な痛みは一生忘れませんが関係して頂いた多くのスタッフの方の努力に深く感謝しています。

朝霧由章

今回、初めて朝霧市の病院に出産の為入院をしました。

陣痛が来てからすぐのお産で、車での移動中に産まれそうで焦りました。

立ち合い出産を希望していましたが、そんな時間もなくあっという間の出産にビックリでした。

駐車場に車をおいてきた旦那が分娩室に来ると、もう赤ちゃんが生まれていたと言っていました。

産後はゆっくりと休んでいましたが、授乳が始まると朝晩関係なく大変だなと感じました。

私が入院した朝霧市の病院は街から外れた所なので、静かで良い環境でした。

赤ちゃんの顔を見ていると、やっと会えた喜びとこれから大丈夫かなという不安もありました。

沐浴を教えてもらいながらやりましたが、自宅に帰ってから毎日忙しくなるなと感じました。

初めての事ばかりで、思うように授乳ができなく乳腺炎になってしまった時は痛くて泣きました。

子供を育てていくという事が、こんなにも大変なことだったのかと実感しました。

病院にいる時は、看護師さんや助産師さんがアドバイスをしてくれて不安な気持ちも楽になることができました。

病院食も美味しくて、自分で作らない食事が嬉しくていつも完食していました。

旦那は毎日仕事が終わると、病院まで面会に来てくれました。

写真をたくさん撮って帰って行く姿に、父親になったのだなと感じました。

授乳で昼夜が逆転していたので、睡眠時間が少なく昼間寝てしまうこともありました。

入院中は、同じ時期に出産したお母さんたちとも仲良くなることができ良かったです。

連絡先も交換したりして、情報交換をしています。

子育ての悩みなんかは、子供がいない友人に話すよりも同じ時期に出産したお母さんの方が聞きやすいです。

お母さん仲間もできて、退院後も会ったりしています。

旦那の協力もあって、家事や育児をゆっくりとやっています。

泣き止まなかったりして何で泣いているのかわからないこともありますが、気持ちを楽にしながら子育てをしていこうと思っています。

朝霧由章

出張先で倒れてしまい朝霧市の病院に入院をしました。

2日くらいは意識もなく記憶にも残っていませんでした。

職場の人が家族を読んでくれて来てもらいましたが、1週間くらいはホテルに泊まってもらうようにしました。

急な出来事だったので、意識が戻ってからは何があったのだろうと自分でもパニック状態でした。

家族の顔を見た瞬間ホッとしたのを覚えています。

この先の事が不安になったのは、病院の先生の話を聞いてからでした。

脳の血管が切れてしまったという事も知り、入院生活がまだ長くなるという事でした。

動かなくなってしまった左手を見ると、仕事復帰できるのかという不安まで出てきました。

地元の病院ではなく、朝霧市の病院という事もあり知らない環境の中での入院生活は辛い事でした。

お見舞い来てくれる人の顔を見るたびに、涙が出ていました。

助かったことに感謝しないとと思いながらも、思うように動かない自分に身体が嫌でイライラすることもありました。

脳の治療は一か月ほどで終わりましたが、そこからが長く大変な日々でした。

地元の病院へ転院することになり、リハビリ施設のある病院へ行くことになりました。

普通の生活ができるようになりたいという気持ちで、毎日地道な訓練をしていきました。

同じ病室には、自分と同じように動けない人や車いすの患者さんもいました。

早く退院して、車も乗れるようになりたいと目標を持つことにしました。

病院内での試験が合格しないと、自動車学校での試験に行けないと分かり必死で頑張りました。

やっぱり、家族の支えがありがたいなと感じ心強かったです。

病院食も段々と慣れてきて、薄味でも美味しく食べられるようになりました。

苦手だった運動も、リハビリの中でやっています。

健康には気を付けてきたつもりでしたが、これからは今まで以上に自分の身体を大事にしていこうと決めました。

心配してくれた家族にも感謝しながら、声に出して気持ちを伝えていこうと思います。